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友人A(←これは・・・。隠したことになってるんやろうか・・・。)に、彼氏ができた。 わー。ぱちぱちぱち!おめでとうございます。 なので、最近、よくそういう話をする。 ある晴れた昼下がり、市場へ続く道ではなく教室で、なんでか忘れたけど、「彼氏が異性の友人と遊びに行くことについてどう思うか」というこれまた難しい問いかけをされた。 ふむ。 で、Aは、「絶対イヤ!!!で、話を聞くだけで嫉妬するから、行くならだまって行ってほしい」ということらしかった。 「へぇぇぇぇぇ。そうなんやぁ」て思った。 私は言ってほしいタイプなのです。 相手の行動全てを管理しようとは思わないけど、こと異性については、微妙な問題なので、秘密を作られるほうがイヤやなぁ。 どんな関係なのか、どんな人なのか、どんな話をするのか、教えてほしいなぁ。 そしたら、少なくとも、理解ができる。教えてもらえるからこそ、それを尊重する気持ちがうまれる。 よく考えたら、私は周りに異性が多い方かもしれん。 学校でも、学校以外でも。 立ち飲み屋に行く時なんか、周りから見たらドリカム(古い)ではないか! でも、それを禁止されてしまうと、非常に困ってしまうわけで。こう、自分にとってすごく必要かつ大切なものなのであり。 だから、なるべくいろんなことを相手には説明したいと思ってる。 自分の都合でやってることで、相手に心配かけたりしてしまうのは、すごく申し訳ないので。 自分では全然なんとも思ってないことでも、相手もあえて口には出さないことでも、もしかしたらもしかしたら、相手は心のどっかで何らかの不安を持ちつつ我慢してるのかもしれへん。 自分にとっては「友達」でも、相手からしたら「異性」であることに変わりはないのだし。 だから、何かちょっとでも心配ごととか、疑問があったら、私には、なんでもぶつけてほしいなぁって思う。 勝手ながらそれでも自分のしたいことがあるならば、お互いに納得できるまで話し合いたい。 で、わがままを言うてるのは自分なので、特に相手がスッキリしてくれるように頑張りたい。 なおかつ、できたら、相手が不安を口に出す(そういうのはすごく勇気のいることやと思うし、そういうことを口に出すのはなんとなく情けない気持ちになったりするものやとも思うし)前に、フォローできるような人間になりたいなぁって思う。 それが、信頼関係へとつながっていくのではないやろうか。 束縛したいわけでもないし、されたいわけでもない。でも、「好きなように行動する。しばられたくない。」ていう台詞は、ちゃんと相手にフォローした上ではじめて言える言葉ちゃうかなて思ったので、そうしていきたいです。 ◆◇◆◇◆ ところで、そもそも「友達」て何?ていうことについて。 「付き合ってない=友達」とか言う人には、ちゃぶ台をひっくり返します。 私は、本当に友達ならば無問題ですが、そうじゃない場合は、会われるのはイヤです。 できたら連絡を取り合うのも、やめてほしい。 私の場合、過去に恋愛関係にあったことがある場合や、どちらかに恋愛感情もしくはそれに準ずる感情がある場合なんかは、これに当てはまります。 「とられるかどうか心配」(←こういう言い方は賛否両論やろうけど、この場合はご了承ください)とか、そういう理由じゃないんやけど、なんか、うまく言えないけど、気持ち悪いの。 もし実際に「とられてしまった」とかになると、これはまた別のお話になるんやけど、一言で言うと、そーんなくっだらんオンナに引っかかるような、くっだらんオトコなんやな・・・てなると思う。 ◆◇◆◇◆ 恋愛関係において、「沈黙は金」か? 私にとっては、そうではない。 恋人だからこそ、夫婦だからこそ、さらに饒舌になるべきだと思ってる。 自分をもっとよりよく知ってもらうために。 相手をもっとよりよく知るために。 相手をもっと大切にするために。 自分もできたら大切にしてもらうために。 目と目で通じ合ってるだけでは、色っぽくないのだ!!! ▲
by la-nuit
| 2006-12-31 01:32
| 恋だの愛だの
別に恋愛に限ったことではないのだけど。 「自分がめいっぱい幸せならば、その幸せが周りにも広がっていく。他人にも分けてあげることもできる。それって、とても豊かで素晴らしいことです。」 て考え方があるでしょ? だから、まずは自分の幸せのために一生懸命になればいいんですよって。 私ね、それ、もしかして逆ちゃうんかなあって、ふと思った。 彼氏·彼女·友達·家族·会社やらの人·知らん人…、なんでもいいんやけどね、ややこしいから仮に「相手」て呼ぶことにする。 相手の幸せを、ちゃんと考えられた時に、初めて、幸せって感じるものなんかもしれないなぁ、と。 ちなみに自分の幸せの追求って、それ、いつ終わるん? 相手のことを「きちんと」考えられるって、すごいことだと思う。 そんなことが出来る人は、それ自体でもうすでに、十分満たされている。本当に幸せな人なんじゃないかなと思う。 ちなみに、勘違いには注意が必要。 「相手の幸せを考えて」って言うけど、本音は「自分の幸せを考えて」いるケース、多々あり。 んー。ベタな話やけど例えば、恋人との別れ話のときにもよく使われる。 あと、子供を叱るときの台詞とかにも当てはまるかもしれん。 自分優位に考えてるのに、そこに蓋をして、相手にはあたかも「あなたのことを考えてるのよ」と説明するのは、単なるイタい人になってしまうでしょう。 というか、一切の打算なしに、相手の幸せをちゃんと考えられる人って、どのくらいいるんかなあ。 なーんか、こう、まわりまわって、「いい人と思われたい。少なくとも自己満足はしたい。」みたいな気持ちになることが多いような気がする。 私も幸せでありたいんやけどね、もちろん。 幸せの追求が間違ってる!とは言えないけど。 幸せって、「なる」んじゃなく、「感じる」ものなんちゃうかなって思った。 なんとなく。 ▲
by la-nuit
| 2006-12-24 02:53
| 恋だの愛だの
私は、旅が好きだ。 ![]() 「旅と人生って、似てる。人生って、旅みたいなもんだ。」って、思ってたところに、友人が『人生の地図』という本を貸してくれた。 それがちょうど、最近考えてたいろんなことと同じようなことが書いてあり、ものすごいビックリした。シンクロか? すごくステキな本です。 ◆◇◆◇◆ 今日は、Keyword03“「パートナー」 誰と生きていくのか”から、覚えておきたい言葉を抜粋させていただきます。 ・「人間は、個人において、完結するものではない。人間は、人間関係によって生きている。」 ・「「今回の人生は、最後まで、この人と一緒に生きよう」そう思ったから、結婚したんだ。」 ・「すべては、家族から始まる。自分の家族さえ幸せにできない奴に、日本も地球も幸せにできない。」 ・「人生という旅の途中で、多くの人と出逢う。その中に、共に生きていきたい、と想える人がどのくらいいるだろう?うまくいっているときも、そうじゃないときも、自分たちが描いたゴールへ向かって、真剣に立ち向かう時間を共有した友達。そんな友達とは、いつまでも、共に生きていきたい。」 ・「あなたにとって、大切な人は誰ですか?大切な人を、大切に。」 ・「愛する人と、自由な人生を。」 ・「あいつが幸せと感じた時に、その想いの中に、オレが居られるようにしよう。」 ・「愛するというのは、ただ、お互いに向き合うことだけではない。大切なのは、一緒に、同じ希望を見ることだ。」 ・「もし君が人に愛されようと思うなら、まず君が人を愛さなければならない。」 ・「人生で一番重要なこと?そんなことは簡単だ。おまえの人生の素晴らしさや楽しさは、誰と生きていくのか、ということによって決まるのだ。とにかく、一緒に過ごす人間が大切だよ。大きなことをいう前に、目の前にいる人たちを大切に生きていきなさい。」 ◆◇◆◇◆ 「人生という旅の楽しさを決定づける要素。それは、どこへ行くか、場所ではない。誰と行くか、人である」 そう思う。ちょうど同じことを思ってた。 旅ってやつは。 「誰かと共感できる旅ができて素晴らしい」わけじゃない。 「誰か」じゃない。 「誰」? 他の誰でもない。それが「あなた」だからこそ、それは素晴らしい旅になる。 「人生のパートナー」と思える人と出逢うこと。 それって、すごくすごく素晴らしいことだと思う。 ▲
by la-nuit
| 2006-04-10 02:12
| 恋だの愛だの
叶恭子さんは、「願望実現」のスペシャリストとして、そのスジでは有名な方らしいですね。 なんでも、ご自分の名字「叶」を紙に書いているとか。(←紙に書くのは、「願望実現」においてすごく重要らしいぞよ) 先日、恭子さんの新著『トリオリズム』の抜粋記事を読んだ。 “トリオリズム”とは、フランス語で“3P”というイミらしいです。キャー! いやはや、抜粋だけしか知らんのだが、すごい内容でした。。 ![]() 3Pというのは、究極の無償の愛らしいです。(かといって、私が体験したいかというと、そんなことはない・・・) すごいなー。 ◆◇◆◇◆ ところで、いきなりですが、知り合いが、彼氏と別れたというのを聞いた。 理由は、「ぶっちゃけ、他のオンナにとられた」。 あっちゃー・・・。 実を言うと、私は、相手のいる男性に手を出すオンナの人のことは、信用できません。どんな状況だったにせよ、姑息に思ってしまう。「しょうがなかったの。好きなんだもん」って、言う人ほど、違和感を感じます。 私自身は、いくら好きでも(そして相手も自分を悪からず想ってくれてたとしても)、自分の恋愛で、誰かがイヤな想いしたり、悲しんだりするのはイヤなので、そういうことはしないでおこうと決心してるのだ。 でも、このへんには、きっと各種の反論があると思います。あくまで個人的考えです。 しかも、こういう考えって、もしかしたら、「やっかみの裏返し」「負け犬の遠吠え」ととられてもおかしくない。 少なくとも叶恭子さんなどなどのような、「願望実現」的な考え方ではないような気がしますねぇ。 でも、今のところは、自分のポリシーに、ささやかな誇りを持っている私がいるので、行き着くところまで、このままいってみたいと思います。 って、いうことを、タイムリーに聞いて、考えた次第でありました。 ▲
by la-nuit
| 2006-01-12 00:31
| 恋だの愛だの
しつこくも前回の続き。 つまり、失恋というのは、その時の自分に100%のダメ出しをくらった、ってことなんですよね。 だから、立ち直るにせよ、次の相手を見つけるにせよ、復縁を企むにせよ、なんせ、その時の自分のままでいたらあかんわけですよ。とにかく、何かが変わらないといけない。しかも、おおむねプラスの方向に。 それで、その時失恋した後で、私がどういうふうに成長したのかというとさ。 ・・・。・・・。 わ、わからない・・・。 すみません。よくわかりません。 えーとね。日々すっごい頑張って生きてはいたんだけど、今から振り返っても、当時と比べて、具体的に「○○が変わった!」とか「自分の○○を磨いた!」とか、なんか、人に胸をはって言えることがないのです。 うーむ。どうしたものか。 ただし。今後の目標にしようと思ったことはいくつかあるの。 ①自分がしてほしいことを人にもしよう。自分がしてほしくないことは人にしないでおこう。(←まあ、これが全てにおいての基本。でもこれ、割と難しかったりする!) ②付き合う相手とは、お互いや2人の関係に関する問題でさえも、正直に何でも話し合える仲になりたい。 ③楽しく会うことが全てなのではない。付き合う相手が悩んでる時にはじっくりと話を聞いてあげられる状況を自分から作りたい。まやかしの楽しさはいらない。 とりあえずこの位にしておく。口だけになるし。 あとね、もっと大切なことはね。 世間には、いっぱい優しい人がいるんだなぁって、それで自分のまわりにもいっぱいいて、それって本当にありがたいことだなぁって、私って、もしかしてすっごい恵まれているんかもしらんなぁって実感できたこと。 飲みにとことん付き合ってくれた友達、ズバッって怒ってくれた友達、励ましてくれた友達、何も言わなくても「何か様子が変だ」って気付いてくれてた友達・・・。みんな、優しい。本当にありがとう!!すっごく感謝してます!! こういうことに改めて気付けたのは、私にとってものすごく有意義な経験だったと思う。(だからといって、そんなに何回も経験したいとは思わんけどね!) ナハ。 ▲
by la-nuit
| 2005-11-05 00:40
| 恋だの愛だの
少々ヘビーだけど、ややあって、ちょっと、失恋について考えてみた。 失恋って、きついよね。いっぱい傷つく。たいがいの人は経験したことある ![]() 私も、経験ある。いろんなこと考えたことある。もうさ、なんか、グチャグチャになったりもした。 しかしながら、失恋して考えることって、たぶんみんな、そんなに違いはないような気もする。 例えば・・・ 自分が相手を好きなほどには、相手は思っていなかったということを知ったショック。自分にとってはその人が最後だと思ってたのに、その人にとっては自分は単なる通過点だったショック。そこから、自分の存在意義って何なんだろう?唯一好きな人にも認めてもらえなかった自分って、いったいどうしたらいいんだろう?そんなダメ人間なんか、絶対もう一生1人で生きていくしかないんだっ!!いつか私も結婚したいとか、何をイキっててん、自分!!とか、そんな感じになってくる。(そんなことない?) 幸せって、その中にいる時には気付かなくって、人間って、欲深くて、「もっと」って思ってしまうんだなあ。でも、それって、悪いこと?幸せを求めたら、ダメになるのはなんでなん?キリストは、「求めよ、そうすれば与えられるであろう」って言ってなかったか?でも、たぶん、求めすぎるから、失ってしまう。いや、そもそも、求めすぎるって、なんなん?「今で十分」てどこで思えるかがミソなのか? 私は、何かがあると、自分を責めるタイプみたいなので、結局最後はいつも「自分に魅力がないから悪いんだ。」という結論におちいります。これと向き合うのは相当きつい!きつかった! でもね、少し年上で、すごく素敵な知り合いがいて、その人がたまたま言ってた。彼女は長年付き合ってる彼氏がいるんだけど、いろいろな事情があって、まだ結婚はしてない。 「私、前は結婚について悩んだりしてた。でも、今してないのは事実で、それはもうしょうがないことやん?失ったものはいっぱいあるけど、その分、得たこともいっぱいあるから、いいねんって思うことにしたの。」 この言葉を聞いた時、ハッとした。たぶん、今、この瞬間にも、私は何かを得てるんだ。しんどい思いをしてても、それ自体、得られてるんだ。なんか少し、楽になれた。 あとさ、どんなにきつい思いしてても、日常ってのは流れてて、その中にはやっぱり嬉しいこととか、おもしろいこととか、ちょこちょこあったりする。それと、まわりの人の、何気ない言葉や、励ましの言葉とか。「あんたは何か知らんけど、大丈夫やわ」とか、「よく頑張ったなあ」とか。 で、そういうささいな日常を重ねているうちに、荒れながらも、少しずつ、少しずつ、笑う回数が増えてきて、なんとなく、なんとなく、楽になってきてる自分に気がついた。「もしかして、意外といけてるやん、自分」って。 今しんどい人たちも、そう思える時、いつか来るんちゃうかな、て思うよ。 ▲
by la-nuit
| 2005-11-02 00:21
| 恋だの愛だの
・・・って、いきなり、トトカルチョははずれてしまいました。 ロッテ強すぎ。阪神負けすぎ・・・。 1人ですね、4-0ロッテ勝に賭けてる人間がいるんですけど(阪神ファンやけど1人勝ちのためにあえて)、こりゃあ・・・、ひょっとするかも・・・。 ◆◇◆◇◆ あるサイトにのってた言葉を引用します。 “好きじゃなければ、情はわかない。また情がなければ、長くは続かない。簡単に別れを選ぶのは、情は恋愛じゃない、愛じゃないとか思う人。情がないなら、相手を守ることも、信用することもできない。結果、恋愛が成長して情がわき、空気のような存在になり、一生一緒に生活できる相手になっていく。” ![]() でもね、常にドキドキで隣にいるだけで鼻血が出そうでアドレナリン出まくりな関係だと、気力も体力も続かないのではないのでしょうか。 でも、この言葉を聞いて、「あっ。そっか。そうなんか。」って、思ったのです。 「情」は、好きだからこそ、湧いてくるんだね。簡単だ。 私は、一旦付き合ったら、「やっぱ考え方が合わないから別れよう」じゃなく、なんとかして、2人で問題を前向きに解決していきたい。だって、せっかく、一旦は相思相愛になれたんだもの。私にとって、これは、ものすごいことなのです。合わないなら、相手とさらに歩み寄って、お互いを成長させたい。自分の気に入らないことがあるたびに別れてたら、いったいいつ成長するんだろう? しかしまあ、本当に合わなかったんなら、お別れもいたしかたないんだろうけども。 「情」は、相手が自分の一部になってるんだと思う。ドキドキしてる間は、他人同士の関係。他人だからこそ、ドキドキするんだと思う。 だから、どんなにドキドキする相手より、情のわいた相手との別れの方が、私はつらい。自分の体の一部がもぎとられた感じで、すうすうする。本当にとても寒くなる。 だけど、だからって、もぎとられて傷ついたところがいつか瘢痕化(あ、思わず専門用語が・・・)するまで、なんでもいいから、自分でなんとかするしかない。その間、誰かに埋めてもらおうなんて、とても失礼な話ですね。 で、いつも心がけ良く、笑ってれば、いつか、ものすごく遠い先のことかもしれないけど、みんな、ベストパートナーに巡りあえる日がくるんじゃないかな、と思う。私たちは、みんな、「本物」を求めてる。頑張ってたら、「本物度」もきっと高くなる。 ▲
by la-nuit
| 2005-10-25 23:44
| 恋だの愛だの
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